街を見下ろす満天の星

1 パンデミックに於ける引きこもりについて

 今更言うまでもないが、俺は所謂処のヒキコモリだ。
 きっかけは忘れもしない、小学校五年生の時分に発生したシカト事件だ。
 当時、クラスのやつ全員に日替わりで無視する対象をずらしていくという、何とも悪趣味な遊びを始めた奴がいた。発案者は、空気の読めない奴などと言う恰好の性質を持った弱者を炙り出せるとでも考えたのだろうか。しかし、俺はまんまとその策に引っ掛っちまった。
 俺にその順番が回ってきて、場を盛り上げようと過剰な反応をした所に、運悪く教師が通りかかったものだから、問題が公になった。
 言ってしまえば自業自得だが、吊るし上げられた主犯の連中が逆恨みして、俺に対して本格的ないじめを始めたって訳だ。
 実際の所、いじめはすぐに無くなった。学級委員だった奴が止めたらしいと噂に聞いた気もするが、真相は分からない。兎に角俺は居心地の悪さに耐えきれなくなって、不登校になり、親の追求からも逃げているうちに引きこもるようになっていた。一度だけ不登校に言及した時の俺の言葉は確か、何となく行きたくない、だった。そのままずるずるとこの年まで社会復帰できずにいる。
 気付いたら、もう皆成人していて、俺だけがあの時のまま……。俺は親が買い与えてくれたコンピュータでインターネット上の仮想世界を徘徊する日々を送り続けていた。当時の事を割合冷静に見る事が出来ているのは、之が、俺の人生そのものが他人事の様に感じている所為ではないか等と、自己流の分析をしながら、甘ったるい悲劇に身を任せたような生活を送っていた。

   *  *  *  *  *  *  *  *

 俺はここ最近の気掛りな書き込みを憂鬱に思いながら、インターネット上にある大規模な掲示板群に接続した。ここ一週間くらいの話だが、どうやら妙な病が蔓延し始めているらしく、冗談の様な内容の書き込みが、異常な量に達していた。一過性の悪戯とは思えなかった。
 インターネットを利用している人間は様々だ。常識的な人間もいれば、迷惑行為を繰り返す奴もいる。
 インターネットに接続できるか否かは人格に起因しない。だからうまみ成分が実は人間の神経に異常を起こさせて快楽な気持ちにさせる、つまり美味いと錯覚させる毒物であると主張するページがあったり、ごく個人的な日記を人が見られる状態にしているページがあったりする。どんなウェブページも時間さえあれば、誰にでも作成可能だし、掲示板の書き込みに至ってはキーボードとマウスの操作さえ出来れば、赤ん坊にだってできる。その内容の知性や品格は保障されないが。
 コンピュータが一般に浸透した今、知名度の高い掲示板はそういう連中が行き交う、さながらスクランブル交差点……、には行った事がないので唯の予想による印象だが、兎に角大勢の多様な人間が、ビッグバン直後の宇宙のごとく、混沌を演出している。
 意識のない人が歩き回り、動物を見つけるとあたり構わず噛み付く等と言う荒唐無稽な書き込みを、一体誰が信じるというのだろうか。最初の内は、人を騙す事で悦に入るような人間の仕業だとしか思えなかった。しかし、掲示板の見出しが其れ一色に染まり、それぞれが情報共有の場として機能しているとなると、唯の悪戯という判断をするのは早計となる。戯れにしては精力的に過ぎる。
 だが、それでも俺には関係ない話だ。
 積極的に情報を収集していた訳ではなかったが、掲示板、ニュースサイト、個人ブログまでもがその話題で埋め尽くされていると、嫌でもその経過が目に入ってくる。
 曰く、接吻や性交渉、あるいは独特の症状である、噛み付きによる接触感染が主な感染経路である。空気感染は、確かではないが数例報告されている。患った人間は、二日で意識を失い、さらに二日間昏睡状態が続き、その後突如として目を覚まし徘徊を始める。そして、動く全てのモノに噛み付く。
「まるでB級のゾンビ映画だな」
 俺の日常は未だ侵されていなかった。

   *  *  *  *  *  *  *  *

 最初の感染が確認されてから十七日目、病院のベッドに縛り付けられていた初期感染者の一人の身体が腐敗し始めている事が発覚した。
 感染拡大が余りにも早く、対応しきれなくなった病院、行政など関係機関は、声を揃えて感染者を縛り付けて隔離する様にと言った。身内の不始末に手を焼いていた人々は、人権侵害とも言える処置をお上公認で執り行えるという事で、いくらかの安堵を以って対処したのである。
 初期感染者とは、病院に収容された人々を指す。その患者達もベッドに括り付けられており、人間扱いされているとは言い難い状態だった。様々な治療法が試されたが、効果は得られなかった。
 肉体の腐敗が判明したものの、患者は痛みを感じている様子もなく、身体は依然として活動を続けていた。様々な憶測が飛び交ったが、どれも仮説の域を超える事はなかった。
 医師は脳死ならぬ、肉体死の判断を下した。従来の判定がまるで役に立たなくなったため、意思疎通が不能な状態に於いて、疑似活動を続ける患者の肉体が、回復の見込みがなくなるほど損壊してしまった場合に、医師がその判定をし、遺族の同意の元、安楽死させる、という話らしい。患者が意味もなく動いている事を擬似活動と名付ける事で、初めて患者の蠢く姿に死を確信する事が出来たのである。その時から、感染者の安楽死の方法が模索されるようになった。
 生死が曖昧になっているこの件に於いて、敢て言うのであれば、活動停止の条件が模索され始めた、ということである。
 これらは、誰もが無責任に書き込めるインターネット上の情報だから、事実かどうかは分からないが、俺は此の処の騒動をそう理解している。
「ま、俺が外に出るころには収まっているだろう」
 俺は再び電子の世界に身を投じた。

   *  *  *  *  *  *  *  *

 白状すると俺は、他の連中と同じ様に、仕事に精を出して、つまらない女に騙され、酒を飲みながら馬鹿騒ぎをするというような普通の生活を送りたかった。根性無しながら筋肉を鍛えたり、鏡に向かって喋ったりして、いつか来るだろうその日を待っていた。きっかけさえ有れば、其れが可能だと思っていた。
 俺は何時の間にか、渇望していた宝物を永遠に失ってしまっていた。
 或る時から、インターネットが使えなくなっていた。多くのサーバーにコンピュータウイルスが蔓延したのである。幸い俺のコンピュータは侵される前にネットから遮断する事が出来たので、流し読みして保存していた書き込みを改めて見直すことにした。
 俺が常駐していた掲示板は、信用に値しない自己申告ではあるが、無職だったり、俺のような引きこもりも多かったため、気になるような変化は無かったのだが、どうやら本格的に病原菌が蔓延っているようだった。パンデミックという奴だ。仕事をしている社会人、学生など他人と接触する可能性の高い連中が利用していた掲示板は書き込みがぐんと減っていた。
 そういえば、普段から家族との接触はないため気にならずにいたが、暫く家族の話声も聞こえてきていない様な気がするし、容器入り即席麺の予備も補填されていない。
 俺は外に出なくてはならなくなっているのかもしれない。
 そう考えると突然吐き気がしてきた。俺はトイレに駆け込み、いくらも残っていない消化しかけの麺を吐き出した。俺は外に出なくても良い言い訳を探し始めた。
 しかし、頭が真っ白になって、考えられない。もしや俺はすでに空気感染によって、感染者に為っているのかもしれない。外に出たら他人の迷惑になるから部屋に引きこもっていよう。
 そうだ、家の連中も、何年も前から俺を置いて夫婦で旅行に行くようになっていたし、またぞろ温泉旅館にでも行っているのだろう。
「外に出るのは嫌だ」
 そうして、俺は再び引きこもった。


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