夢野久作/角川文庫
ジャンル 短編(中編)小説/サスペンス
角川文庫の「少女地獄」は、短編作品集である少女地獄と、他3編(童貞・けむりを吐かぬ煙突・女坑主)が収録されている、ちょっと変わった短編集です。今回は、少女地獄に絞って、紹介したいと思います。
少女地獄には、「何んでも無い」、「殺人リレー」、「火星の女」の3つのサブタイトルが付されています。手紙や、新聞記事の形式を以て書かれていて、登場人物の心情がありありと描写されていることが、夢野久作らしさであるように思います。以下、内容に触れて行きます。
女性と虚構には、深いつながりがあると言っても過言ではないように思います。特に女性は多くの場合、化粧をしているため、虚構の印象をまといやすいかもしれません。「何んでも無い」に登場する、姫草ユリ子は、そんな中でも高度で、だからこそ脆い虚構をまとった女性ということができるでしょう。
臼杵という医師が、白鷹という年上の医師に宛てて書かれた手紙という体で、自殺したユリ子の人となりが語られていきます。といっても、本文のほとんどは臼杵医師が断るように、報告書式の敬語を使わない文体にかわるので、普通の小説と同じような文体になるのですが。
「謎の女」としても世間を騒がせたユリ子によって、臼杵耳鼻科他、色々な人につかれた嘘が、徐々に暴かれていきます。それでも、ユリ子は非常に魅力的な女性で、虚構が白日の下にさらされた後も、臼杵家は彼女を気にかけてしまうのです。
終盤に近付き、ユリ子のプロフィールがでたらめであることが暴かれるのですが、よくもまあ、そこまで嘘がつけたものだと感心するほどです。
ユリ子の嘘つき癖は精神病の一種だったということが示唆されていますが、とにかく彼女は命よりも自分の虚構を優先してしまうのです。
女性に拘わらず、だれにでも抗いきれないものがあります。それは、運命や、欲望、衝動、そしてサガなどと表現されます。「殺人リレー」では、新高という男に女性が次々と殺されていきます。しかし、被害者となる女性は殺されかけながらも、新高にこだわり続けてしまうのです。新高は男版・姫草ユリ子とでもいえそうな、人を魅了する人物らしいのですが。奴は付き合う女性すべてを事故に見せかけて、実に巧妙に殺してしまうのです。ですが、人殺しはもちろん、リレーも一人ではできないものです。と、私は少々ホラーチックな終わりだったように感じました。
ちなみに「殺人リレー」も、誰かに送られてきた手紙の体をとっていました。しかし、一方的に送られてきた手紙が6通、順に掲載されているもので、ほとんど独白のようなものです。そして、被害者と思われた手紙の主が、女性の性(サガ)に翻弄され、だんだんに心変わりして行くさまが、矛盾をはらんでいるようにも見える、ギリギリの線で実に生々しく描写されています。
潔癖な、清純を愛する半面、それを脅かすモノに対しては、驚くほどの精力を発揮する事も、少女(に限ったことではないでしょうけれど)の魅力であるように思います。「火星の女」では、いきなり新聞記事のような文章が淡々と並べられていきます。そこでは、どんな事件が起こり、その事件によって、登場人物がどんな対応をしたのかということが述べられるのです。
火星の女こと、甘川歌枝は身長が高く、自他共に認める醜い容姿らしいのですが、非常に繊細な、優しい心の持ち主で、気弱であるために、不当な扱いを受けることが多い少女でした。歌枝は、学校の片隅にある、廃屋に一時のやすらぎを求めるのですが、そこは校長をはじめとする、悪徳の学校関係者が悪だくみをする隠れ家のようなものだったのです。
その廃屋で歌枝は不幸にも、勘違いをした校長に操を奪われてしまい、その上、事の発覚を恐れた校長に遠方の新聞屋での仕事を斡旋される、つまりは追い払おうとされるのです。歌枝は、仲の良いアイ子に後のことを託して、命を犠牲にした復讐を行うのです。アイ子は歌枝と仲が良いこともありましたが、彼女自身が校長の隠し子であるという事実が発覚し、歌枝に協力する事にしたようでした。最後に記されている、歌枝の手紙が本編ともいえるので、そこで、新聞記事やら、アイ子の手紙やらでの謎が明らかにされるのです。しかし、彼女自身が迷っているのか、彼女の行為が校長に復讐するためであると同時に、校長に反省して、まっとうに生きてほしいと考えているようでもあります。
わざわざ言うことではないかもしれませんが、文学作品のほとんどがそうであるように、物語の流れを追ったり、ストーリーを要約しても、その作品の魅力を表現することは難しいといえます。(筆力がないことも原因ではありますが……)「ドグラ・マグラ」しかり、夢野久作の作品はそれが顕著であるようにも思います。
ところで、「少女地獄」は、二十歳を前後する女性を主役においていますので、一部の人にとっては、「どこが少女だ!」となるかもしれませんが……、いや……。
とにかく、主題の通り、少女達の地獄に迷い込んだような、それでいて、その地獄から抜け出したくないような、そんな印象を受けます。
醜悪な世界で生き抜く、あるいは散っていく少女たちの強かさ、あるいは儚さ。相手を憎しみつつも、どうしようもなく愛してしまう、そして、さまざまなものに翻弄されていく、その矛盾ともいえるような、少女たちの悩み、葛藤、といったものが、美しく表現されているのです。また、「何んでも無い」と、「火星の女」に登場する少女は、美醜についても、嘘つきかどうかについても正反対で、その対照が面白くもあります。
そして、この作品の最も悪夢的なところは、少女たちが現れては自殺して逝く、という異常さです。まるで少女の自殺博覧会のようで、少女たちは、虚構、心中、愛憎によって、自殺に追い込まれるのです。必ずしも、少女たち自身の心情が著されているわけではありませんが、いずれも胸を締め付けられるような、不条理なものなのです。
ところで、「火星の女」に登場する、歌枝とアイ子は、片や火星の女、片や明星というように、他人からの評価は全く逆なのですが、上に要約したように仲が良い、いや、それ以上の仲であったようなのです。歌枝の手紙では、丁寧に表現されていて、他人行儀にすら思えてしまいましたが、愛人とまで明記されていて、決別の際には長い接吻を交わしたとも…。まさかの百合。内容のほとんどは、そんな気配を微塵も感じさせないのですけれど。
2010/02/27 きくらげ