小説を読んだ感想とか

武装島田倉庫
椎名誠/新潮社

ジャンル 小説/SF・最終戦争後記・ノスタルジック

 SF好きを自称しながら久しぶりに読んだSF。椎名誠さんの小説を読むのは実はこれが初めてです。ただ、毎度著名な方の小説を読んで思うのは、その人らしくないとも言われている作品を毎度チョイスする自分は、邪道なのだろうかと言う事です。三島由紀夫の潮騒しかり……。
 まあともかく、椎名誠さんが1990年前後に書かれた、SF作品群3作の中の最後の作品にあたるようで、本来なら、3作とも読んでおくべきなのでしょうけれど、ひとまずこの作品、武装島田倉庫についていつものように、グダグダ述べていきたいと思います。

 作品は冒頭、島田倉庫への就職活動から始まります。これだけでは、現実世界と何も変わらないではないかと言う感じもしますが、体力試験を含めた3次試験までを乗り越え、4次の面接試験に向かおうという話をしれっとしているあたり、もう良いにおいがぷんぷんしてきます。
 北政府との戦争後、海や川は濁り、油泥と化し、生物は巨大化、凶暴化、凶悪化しており、就職難と食糧難が同時に来ている……。そのため、失業者は、運送トラックを襲い、倉庫を襲う、まさに無秩序の混とん世界となっているのです。それでも、人々は、古い時代の経済活動を続けており、作品の中心にあるのが、運送業、倉庫経営と言う事もあり、ノスタルジックな雰囲気を味わう事もできるのです。
 最初と最後の、武装島田倉庫、開帆島田倉庫をのぞいて、主人公の違う短編に近い作品となっていて、その作品群が、密接にかかわり合っているので、よく言われる「世界は狭いなあ」、と言う感覚を覚えます。言ってしまえばオムニバスと言う感じでしょうか。

 ところで、この小説を手にとった原因と言うのが、弐瓶勉先生(BLAME!等の作者)が、キャラクターの名前の元ネタに挙げていたためです。ミーハーですな、全く。
 そんな経緯もあって、島田倉庫に、檻に入れられた一人の単眼の(隻眼でなく)少女が預けられたときに、白拍子という武装集団に襲撃されたシーンが、BLAME! 2巻の塊都(かいと)に出てくる乾人(からど)とどうしても重なってしまって……。乾人は、連れ去られた娘を助け出すために、主人公が偶然のり合った運送船を襲撃するのです。武装島田倉庫に描写はないのですが、単眼の娘を助け出すために白拍子が島田倉庫を襲撃したのではないかと思ってしまったりしています。弐瓶先生なりの解釈なのか、単に、インスパイアされた結果出てきたエピソードなのか、本人のみぞ知るところです……。

 ユニークな固有名詞が多いのも、面白味の一つです。作者本人は冗談めかして言っている”シーナワールド”を楽しんでみるのもいいのではないでしょうか。

2011/10/29 きくらげ

夏への扉
ロバート・A・ハインライン 著/福島正実 訳
ハヤカワ文庫SF/早川書房

ジャンル 小説/SF

 ジャケ買い率が高いきくらげです。美しい猫の後姿が描かれている表紙につられて購入しました。
 どうやら、この原作が最初に世の中に出たのは、1956年であるようです。作品の舞台は1970年代と、2000年前後ですが、しかしそれでも著された年から考えると充分すぎるほど未来の事で、そこには現在にはない数々の魅惑的な機械や技術が満載なのです。
 1970年よりも少し前、主人公のダン・デイヴィス(ダニエル・ブーン・デイヴィス)は、親友マイルズとともに会社を興します。ダンが自らの技術を駆使して家庭用ロボットを作成し、それをマイルズが売るという、文系理系の役割がはっきりとした分担をしていました。途中からタイピスト兼会計係として一人の女性ベルを雇い入れ、株式会社にするのですが、これが間違いの始まりでした。
 婚約したはずのベルと、マイルズに裏切られ、ダンは会社を追い出され、自暴自棄になります。そしてたまたま目にとまったミュチュアル生命 冷凍睡眠保険(コールドスリープ・アシュアランス)の看板にある決心をして、その保険会社に赴くのです。そしてマイルズとベルとの間でごたごたがあってから、コールドスリープに入り、30年後の2000年に目覚めます。そこは当然のことながら1970年とは全く違う世界になっていて……。

 そこからの展開こそが紹介したいところですが、ここまでにしておきます。それからどうなるのか、ハラハラドキドキさせる展開の連続で、一気に読んでしまいました。SFとしてもユニークで面白いですし、ドラマチックなシーンもあるので、楽しめると思います。
 ちょっとネタばれを含みますが、この作品で用いられるSF要素の強い技術を紹介しておきましょう。
 まずは先述したような冷凍睡眠です。これが一般にも利用されるようになり、眠っている間に資産を増やそうというのが売り文句の保険会社が出てきます。そして二つ目がダンが作成したロボット。作中ではほとんどロボットという表現を使いませんが、窓ふきや皿洗いなどの家事を代行する機械が出てきます。
 そして最後に、タイムスリップが出てきます。これは必然的な問題として、タイムパラドックスや多次元宇宙の問題にも触れますが、それは一技術者の主人公にはわかりえない事でもありますし、希望的推測とわずかの考察を述べるにとどめています。原理としては二つの物体を置き、その二つが五分五分の割合で未来と過去のどちらか現時点をOとする対象の時間に出現するというものです。つまり、同じ質量のコインを2枚置き、機械を作動させると、一週間前と、一週間後にそれぞれのコインが出現するというのです。

 この作品に登場する猫、ピートは勇敢でかわいらしい、もうこの世のものとは思えないような生き物です。これは何より著者の猫に対する愛の表れだと感じざるを得ません。途中主人公は冷凍睡眠に入る前のごたごたの中でピートとは別れてしまうのですが、もう何とも感情をゆすぶられる描写のオンパレード、猫の悲しげな鳴き声、普段はそんな気を見せないのに真実、主人を思うその絶妙な愛情。これだけでももうこの本は買う価値があります。

いや、それは言い過ぎか。

2011/06/03 きくらげ

ステーシーズ

少女再殺全談

大槻ケンヂ/角川書店

ジャンル 小説/近未来ホラー・スプラッター・SF

 ジャンルが近未来ホラーというよくわからないものになっているのですが、中身を見ればそこそこ納得していただけるかなと思います。
 くせの強い作品なので、男色、猟奇表現、スラング等々が苦手な人は、読むのを控えた方がいいかもしれません。また、詩のような小説で、ニュアンス重視な、ちょっと変わった文体の小説でもあります。
 アンダーグラウンドな雰囲気のある、サブカルチャーな作品とでも言いましょうか。

 この作品に登場するのは、何人かの男性の他には、いわゆるゾンビと化した少女、すなわちステーシーです。そして、それに加えて、畸形の少女たちも後半から登場します。その世界では15から17歳の少女が突然死亡し、それが生ける屍となって、人間を食べるようになります。そのゾンビ化した少女をステーシーと呼ぶのです。ステーシーは百六十五分割しなければ、殺しきることは難しいと言われていて、少女の親族や恋人、あるいは再殺部隊の人たちはスコップや、電動のこぎりで少女たちを"再殺"するのです。物語は、作中の何人かの視点から語られるので、オムニバス形式に近い作品と言えます。作品を読み進めることで、全体の世界観をつかめるようになることでしょう。

 異常事態下において、仮に正気を保っていられなくても、何か葛藤を抱いているものです。それを表現しているのがこの作品だと言えるでしょう。再殺部隊の人を例に挙げても、すくない酒を効率的に体中に回そうと、度数の高い酒を含んでヘッドバンキングしたり(※危険なのでまねしないようにしましょう)、あるいは、感情を失くしてしまったり、一見楽しんで少女の再殺を行っているように見える人も、一種の防衛本能が働いて、異常な脳内物質に支配されているようでもあります。この葛藤に耐えきれず自殺した人も……。しかし、その一方で語り手や、ステーシー化する少女たちは不思議と自分たちに振りかかる残酷な運命を受け入れていて、妙に冷静で、その異常さを際立たせています。
 ステーシー化直前から少女たちは、ニアデスハピネス(これはステーシー化する少女に見られる現象だとか)によって笑顔になるのですが、百六十五分割される間も、再殺部隊の人々に惨殺される間にもにこにこと笑っているのです。異常に異常を塗りたくる光景が、今にも目に浮かんでくるようで、気持ちのいいものではありませんが、何故か悲しくなってくるものでもあります。
 また、擬音が多いのも特徴で、これも評価は分かれるかもしれません。というか、一般的には、擬音に頼らず比喩などの表現を駆使するものだと思うので、もしかすると批判の方が多いかもしれません。
 ただ、それが気にならないくらい、再殺の表現がステキにグロテスクで、悲哀に満ちています。いやむしろ、擬音だからこそ表現できるものかも、少女たちの言葉にならない叫びは、比喩で表現できるものではないのかもしれません。

 ステーシーが徘徊する世界は、さながら大戦直後のようで、それでもステーシー化、ステーシーの再殺など、風変わりな設定がその中で活かされているのです。
 しばらくしてステーシーは人の肉を食らわなくなり、ただの阿呆な少女になり、その一方では、新人類? のハムエが世界を治めることになり、旧人類はロストと呼ばれてステーシーをペットのように飼うようになります。
 ハムエは、ステーシー化現象の中を生き抜き、ある施設に住んでいた畸形の少女たち、不思議な能力を扱う少女たちのことです。あ、それと作中で畸形という扱いを受けていたので、そう記述しましたが、実際のところ多数派になれば、畸形ではなく進化とも言えますね。

 ところで、昔これが漫画化したものを買った気がするのですが、見つかりません。いったいどこへ行ってしまったのか。

2010/04/10 きくらげ

少女地獄
夢野久作/角川文庫

ジャンル 短編(中編)小説/サスペンス

 角川文庫の「少女地獄」は、短編作品集である少女地獄と、他3編(童貞・けむりを吐かぬ煙突・女坑主)が収録されている、ちょっと変わった短編集です。今回は、少女地獄に絞って、紹介したいと思います。

 少女地獄には、「何んでも無い」、「殺人リレー」、「火星の女」の3つのサブタイトルが付されています。手紙や、新聞記事の形式を以て書かれていて、登場人物の心情がありありと描写されていることが、夢野久作らしさであるように思います。以下、内容に触れて行きます。

 女性と虚構には、深いつながりがあると言っても過言ではないように思います。特に女性は多くの場合、化粧をしているため、虚構の印象をまといやすいかもしれません。「何んでも無い」に登場する、姫草ユリ子は、そんな中でも高度で、だからこそ脆い虚構をまとった女性ということができるでしょう。
 臼杵という医師が、白鷹という年上の医師に宛てて書かれた手紙という体で、自殺したユリ子の人となりが語られていきます。といっても、本文のほとんどは臼杵医師が断るように、報告書式の敬語を使わない文体にかわるので、普通の小説と同じような文体になるのですが。
 「謎の女」としても世間を騒がせたユリ子によって、臼杵耳鼻科他、色々な人につかれた嘘が、徐々に暴かれていきます。それでも、ユリ子は非常に魅力的な女性で、虚構が白日の下にさらされた後も、臼杵家は彼女を気にかけてしまうのです。
 終盤に近付き、ユリ子のプロフィールがでたらめであることが暴かれるのですが、よくもまあ、そこまで嘘がつけたものだと感心するほどです。
 ユリ子の嘘つき癖は精神病の一種だったということが示唆されていますが、とにかく彼女は命よりも自分の虚構を優先してしまうのです。

 女性に拘わらず、だれにでも抗いきれないものがあります。それは、運命や、欲望、衝動、そしてサガなどと表現されます。「殺人リレー」では、新高という男に女性が次々と殺されていきます。しかし、被害者となる女性は殺されかけながらも、新高にこだわり続けてしまうのです。新高は男版・姫草ユリ子とでもいえそうな、人を魅了する人物らしいのですが。奴は付き合う女性すべてを事故に見せかけて、実に巧妙に殺してしまうのです。ですが、人殺しはもちろん、リレーも一人ではできないものです。と、私は少々ホラーチックな終わりだったように感じました。
 ちなみに「殺人リレー」も、誰かに送られてきた手紙の体をとっていました。しかし、一方的に送られてきた手紙が6通、順に掲載されているもので、ほとんど独白のようなものです。そして、被害者と思われた手紙の主が、女性の性(サガ)に翻弄され、だんだんに心変わりして行くさまが、矛盾をはらんでいるようにも見える、ギリギリの線で実に生々しく描写されています。

 潔癖な、清純を愛する半面、それを脅かすモノに対しては、驚くほどの精力を発揮する事も、少女(に限ったことではないでしょうけれど)の魅力であるように思います。「火星の女」では、いきなり新聞記事のような文章が淡々と並べられていきます。そこでは、どんな事件が起こり、その事件によって、登場人物がどんな対応をしたのかということが述べられるのです。
 火星の女こと、甘川歌枝は身長が高く、自他共に認める醜い容姿らしいのですが、非常に繊細な、優しい心の持ち主で、気弱であるために、不当な扱いを受けることが多い少女でした。歌枝は、学校の片隅にある、廃屋に一時のやすらぎを求めるのですが、そこは校長をはじめとする、悪徳の学校関係者が悪だくみをする隠れ家のようなものだったのです。
 その廃屋で歌枝は不幸にも、勘違いをした校長に操を奪われてしまい、その上、事の発覚を恐れた校長に遠方の新聞屋での仕事を斡旋される、つまりは追い払おうとされるのです。歌枝は、仲の良いアイ子に後のことを託して、命を犠牲にした復讐を行うのです。アイ子は歌枝と仲が良いこともありましたが、彼女自身が校長の隠し子であるという事実が発覚し、歌枝に協力する事にしたようでした。最後に記されている、歌枝の手紙が本編ともいえるので、そこで、新聞記事やら、アイ子の手紙やらでの謎が明らかにされるのです。しかし、彼女自身が迷っているのか、彼女の行為が校長に復讐するためであると同時に、校長に反省して、まっとうに生きてほしいと考えているようでもあります。

 わざわざ言うことではないかもしれませんが、文学作品のほとんどがそうであるように、物語の流れを追ったり、ストーリーを要約しても、その作品の魅力を表現することは難しいといえます。(筆力がないことも原因ではありますが……)「ドグラ・マグラ」しかり、夢野久作の作品はそれが顕著であるようにも思います。
 ところで、「少女地獄」は、二十歳を前後する女性を主役においていますので、一部の人にとっては、「どこが少女だ!」となるかもしれませんが……、いや……。
 とにかく、主題の通り、少女達の地獄に迷い込んだような、それでいて、その地獄から抜け出したくないような、そんな印象を受けます。
 醜悪な世界で生き抜く、あるいは散っていく少女たちの強かさ、あるいは儚さ。相手を憎しみつつも、どうしようもなく愛してしまう、そして、さまざまなものに翻弄されていく、その矛盾ともいえるような、少女たちの悩み、葛藤、といったものが、美しく表現されているのです。また、「何んでも無い」と、「火星の女」に登場する少女は、美醜についても、嘘つきかどうかについても正反対で、その対照が面白くもあります。
 そして、この作品の最も悪夢的なところは、少女たちが現れては自殺して逝く、という異常さです。まるで少女の自殺博覧会のようで、少女たちは、虚構、心中、愛憎によって、自殺に追い込まれるのです。必ずしも、少女たち自身の心情が著されているわけではありませんが、いずれも胸を締め付けられるような、不条理なものなのです。
 ところで、「火星の女」に登場する、歌枝とアイ子は、片や火星の女、片や明星というように、他人からの評価は全く逆なのですが、上に要約したように仲が良い、いや、それ以上の仲であったようなのです。歌枝の手紙では、丁寧に表現されていて、他人行儀にすら思えてしまいましたが、愛人とまで明記されていて、決別の際には長い接吻を交わしたとも…。まさかの百合。内容のほとんどは、そんな気配を微塵も感じさせないのですけれど。

2010/02/27 きくらげ

夜は短し歩けよ乙女
森見登美彦/角川書店

ジャンル 小説/ラブコメディ

 アジカンのCDジャケットなども手掛ける、中村佑介さんの表紙につられて買ったというのはここだけの話。漫画化、舞台化などしている小説です。
 ジャンルにすると、ラブコメディということになってしまうのでしょうけれど、主人公が斜に構えている、というかひねくれているせいか、すごく読みやすかったです。普段、恋愛ものとかは読めないんですけれど。非常にコミカルで、不思議な魅力にあふれたキャラクターが多いのです。今まで紹介してきたものとは、だいぶ毛色は違うようですが…。

 さてさて、本文は4部構成になっており、主人公と、主人公が好意を寄せる乙女(黒髪の乙女)の二つの視点から描かれます。また、章ごとに季節が移り、舞台となる京都の季節ごとの行事にも絡んだ不思議な出来事が綴られるのです。主人公と黒髪の乙女は同じサークルに所属する先輩と後輩の関係にあり、黒髪の乙女はそれほど主人公を気にしている様子はないのですが、主人公は何も隠すことはないとばかりに黒髪の乙女以外の人物には彼女のことを好きであることを大っぴらにしています。ですが、彼はなかなか黒髪の乙女と会うことができずに、東奔西走を繰り返します。それにしても、彼の行動は彼女を付け回しているだけのようにも見えます。おまわりさーん、ストーカーです!

 そんな主人公の努力もむなしく、黒髪の乙女は主人公に邂逅するたびに、「あ! 先輩、奇遇ですねえ!」と主人公の言い訳めいたセリフに応えるのです。恐るべし天然少女。
 そう、主人公も十分にひねくれているのですが、ヒロインも他に類を見ない変わった娘なのです。しかしそれだからこそ、魅力的というか…。そもそもこの作品に、まともな人が出てきていたかと問われれば、それも疑わしいものですが。
 この二人の他に、各部通しておおむね登場するのは、森見さんの他作品にも出てくる、樋口さんという自称天狗の不可思議な学生と、羽貫さんという、酔うと他人の頬をなめるという癖を持つ歯科医の女性です。そして、人物ではありませんが、詭弁論部や閨房調査団という団体もちょくちょく出てきます。詭弁論部はウナギの動きをまねた踊り、「詭弁踊り」を踊るクラブ、もとい、詭弁を弄する事に日進月歩するクラブ、そして閨房調査団は、端的にいえばエロ本蒐集家の集まりですが、春画やラブドールを集めたりと、その領域は広く、深淵であり、風俗文化の研究家という言い方もできなくはない、のかもしれません。
 それと李白翁、この人物を置いてはおれません。高利貸しのわがまま爺さんなのですが、この人は化けものですよ。

 全編通して、仰々しく、回りくどい表現が多いのですが、その実、語っている内容はコミカルで、仰々しい表現がかえって滑稽にすら思えてきます。さらに、いろいろな伏線が張られていて、それが最後に鮮やかに? 収集されているのです。少々(本文で主人公も自棄気味に語っていたように)ご都合主義的ではありますが、なんだかハッピーエンドならいいかなあ、なんて思ってしまう私は日和見主義者ですかね。とはいえ、夢と現実と酩酊の間隙にあるような、不思議な幻想京都に入り込みたいものだと思うのは私だけではないはず。

 この作品(特に第1章)を読むと、妙にお酒が飲みたくなるんですよね。お金がないので、週に1度くらいにしようと思っているんですが…。それというのも、作中に何度も登場する偽電気ブランなるお酒を、黒髪の乙女がたしなむ時の表現が秀逸で、飲んでみたい! と何度も思わせるのです。それでは偽電気ブランなるお酒はどういったものなのか。神谷バーで出されるという、デンキブランは、30〜40度のブランデーベースのカクテルです。結局この作品を読んでから、今の今まで飲むことができないでいるのですが、濃い琥珀色のお酒のようです。ところが作中で、偽電気ブランはデンキブランを再現しようとして、偶然できたもので、味も香りもデンキブランとは全然違うとされているのです。具体的には透明に近い橙色で、芳醇な香りを持つ、無味のお酒で、口に含むたびに花が咲くようだと言う話です。デンキブランはもちろん別口で飲んでみたいものですが、偽電気ブランは幻想的な作品ならではの幻の酒ですね。
 ああ、夢でもいいから飲んでみたい。

2010/01/31 きくらげ

涼宮ハルヒの憂鬱シリーズ
(著)谷川流 (イラスト)いとうのいぢ/角川スニーカー文庫、角川つばさ文庫(角川書店)

ジャンル ライトノベル/学園小説・SF

意外に普通でびっくりした。

詳しく説明する。

文章が普通の小説のような文章なのだ。

更に詳しく説明する。

物語は主人公、キョンのややくどい一人称で語られる。プロローグでは主人公のおおまかな経歴と物事に対する考え方=性格が丁寧かつ簡潔に述べられ、間髪入れずに第一章、主人公の通学路に対する文句と平行して物語の舞台となる学校の情景が描写される。その後も一つ一つ、『誰が』『いつ』『どこで』『どんなふうに』『なにを』『したか』が丁寧にわかりやすく綴られていく。正直心のどこかでライトノベルをバカにしていた。ごめんな! ライトノベル!

宇宙人に殺されそうになったり、タイムスリップしたりする主人公だが説明や解説、リアリティのさじ加減が上手なので納得できる。読者に分かることをわざわざ説明する野暮なこともしない。

だからハルヒが誰のことを好きかが分からない人もいるかもしれない。かくいう私もハルヒが『己の爪楊枝を親の仇敵のような目つきで眺め』るまで気付かなかった。不覚。

それはそうとキョンのハルヒに対する態度は不当だと思う。みくるさんや長門には丁寧に接するのに、ハルヒだけつっけどんというのは差別だ。そりゃ迷惑な女かもしれんが、だからこそ優しく接するべきである。科(罪、あやまち)のあるをばなほも哀れめ、だ。

だけど映画撮影の話でキョンが、みくるさんをおもちゃにするハルヒに殴りかかろうとしたシーンは妙にスカッとした。悪いことをする奴は殴られるべきである。

2009/11/22 ペーパードライバー

灼眼のシャナ
(著)高橋弥七郎 (イラスト)いとうのいぢ/電撃文庫(アスキー・メディアワークス)

ジャンル ライトノベル

インターネットで配信されていたアニメ第二話を気まぐれに見たことがそもそもの発端である。アニメがあまり好きではない私が「まぁ、たまには暇つぶしに」と惰性で見続けていたらだんだん面白くなってきてそのまま最終話まで見た。そうなると第一話が気になってくる。DVDを買う気も無かったし、かと言って近所のレンタルビデオ屋にも無い。だったら小説を立ち読みした方がタダだし早いと読んでみたら、これが読んでいて恥ずかしくなる文章なのだ。世間はこれを『痛い』という。

あまりにも痛くて最初は読めなかった。痛み止めが欲しいくらいだ。だがこれに効く痛み止めは存在しない。小さな痛みは大きな痛みで打ち消す。ゼロの使い魔のヤマグチノボルのあとがきは更に痛いぜ! 今ではどちらも普通に読むことが出来ます。

あらすじは主人公、坂井悠二くんが町を歩いていたら怪物に襲われて殺されたけど生き返ってヒロインの炎髪灼眼の打ち手=シャナと出会い、自分が人間の代替品、トーチとなってしまったことに苦悩しながらシャナと協力して襲い掛かる怪物を撃破していく話です。

作者の高橋弥七郎さんは自分の作った専門用語で世界観を構築するのが上手な作家で、文字通り言葉巧みに独自の世界を構築していきます。逆に言うと専門用語だけで世界観を構築しようとするから、あらすじ紹介も大変だ! 怪物だってほんとうな紅世の徒(ぐぜのともがら)っていうし、シャナはフレイムヘイズとも呼ばれている。トーチという単語だって人間の代替品と説明するには説明不足だ。更に主人公はトーチといってもミステスっていう特別なトーチで……と芋蔓式に説明しなくてはならなくなる。用語というよりも、これでは暗号だな。漢字変換もめんどくさい。

そんな灼眼のシャナも今、手元にある十九巻でゼロの使い魔のように合戦の様相を呈している。ちゃんとわざわざ概要図もあるぞ。必要性はともかく。

ただ怪物と人間との対決なのでゼロの使い魔のような政治的な駆け引きは描かれず、集団戦闘描写も曖昧だ。だいたい、怪物も迎え撃つ人間もジョジョの奇妙な冒険に出てくるスタンド使いのような一人に一つ特殊能力を持ってるような奴らで、そんな奴らが劇中正確な数が明言されていないが数百人単位で激突するのだ。あらゆる意味で無理がある。ていうか無理だった。つまらないもん。

しょうがない、合戦(こっち)が駄目なら次は恋愛(あっち)だ。主人公とヒロインはどうなってるのだ? というとあっちはなんか主人公が(私には)うまく説明できないことになっていて、にっちもさっちもいかなくなっている。つまらん。

背表紙のローマ数字にも怒りを覚えるぜ。わかりにくいんだよ!

2009/11/15 ペーパードライバー

ゼロの使い魔
(著)ヤマグチノボル (イラスト)兎塚エイジ/MF文庫J(メディアファクトリー)

ジャンル ライトノベル/使い魔ファンタジー(メディアファクトリーHPより)

ある日、ファミ通を何気なく立ち読みしていたら『ツンデレスロット』という単語が目に飛び込んだ。ツンデレスロット! 興味深い単語である。

タイトルはゼロの使い魔〜夢魔が紡ぐ夜風の幻想曲〜といい、ヒロインの一人であるルイズなる少女の持つツン、及びデレのパラメーターのどちらかが極点に達したときに発動されるのがツンデレスロットであり、スロットの結果次第で少女のとる行動が決定されるという。

ツンは容易に想像が付く。殴る、蹴るの暴行を主人公が受けるのだろう。マニアックな方向では鞭とか蝋燭が使用されることも推測できる。でもデレはなんだ? 下心を露出させながら私は友人に尋ねた。友人曰く。

「それなら原作の四巻を読めばわかるよ。でも四巻から読んだら話が分からないだろうから、一巻から四巻まで貸してあげるよ。ゲームは正直、買わない方がいいと思う」

かくして私はゼロの使い魔と出会った。

あらすじは日本のイマドキの男子高校生、平賀才人が出会い系サイトで知り合った女と会うべく秋葉原をウロウロしていたら、目の前に突然光るゲートが現れ、なんとなく突撃するという無謀を敢行したところ魔法の存在する異世界、ハルケギニアに召喚されてルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールなる少女の使い魔にされて大変だー、という話。

ルイズなる少女は魔法学校の生徒であり、主人公を異世界に召喚したのも授業の一環だそうで物語の前半はこの魔法学校とその周囲の人物によって話が進められていく。だが徐々に徐々に世界観が魔法学校から広がって、魔法学校を所有する小国トリスティンを舞台に主人公と謎のテロリストの対立に発展していく。

当初のデレとはなんぞや? という目的を忘れて友人からさらに八巻まで拝借したところ物語はどんどん加速して、遂に空中大陸に存在する国家アルビオンとトリスティンの全面戦争に発展する。ここから物語はなんだか当初のハリー・ポッター風味が消えて指輪物語のようにも思えるが、指輪物語と違って相手が同じ人間であるため政治の要素が絡んでくる。だからむしろ皇国の守護者のような架空戦記に近い。まぁ、戦記ものは皇国の守護者しか読んだことがないが。

ハルケギニアの文明水準はせいぜい十七世紀であり、小国ゆえに軍事力において劣るトリスティンが主人公や、主人公の使う戦闘機などの近代兵器、ヒロインであるルイズの持つ圧倒的な破壊力の魔法を駆使して大国に対抗するのは素直に面白いと感じる。そうなると必然的に主人公がめちゃくちゃ出世して貴族になるなど立身物語としても楽しめる。

ところで私はそのあとゲーム版を買ったが、友人の忠告には素直に従うべきだと痛感した。五千数百円をドブへ投げ込んでしまった。

2009/10/08 ペーパードライバー

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