街を見下ろす満天の星

7 考察

 ゾンビ物の作品の基となる実在の病気は狂犬病だと言われる。発症すると、凶暴化し人に噛み付こうとする様になる。だが、其の潜伏期間は十日から一年、発症後は一週間で死に至ると言うから、今回爆発的な感染を見せた病が狂犬病ではない事は素人でも予想できる。
 其の他にも、テトロドトキシンが含まれたゾンビ・パウダーを処方する事で一時的に仮死状態に追い込み、其の過程で前頭葉が破壊され、自発的意思の無い奴隷を作り出すと言う、古くからの言い伝えもある。因みに、ロボトミー手術でも前頭葉を破壊するので、同じ様な症状を作り出す事が出来るが、この様な奴隷として使われるゾンビは噛み付こうとする様な凶暴性は見られない。
 ヴードゥーの黒魔術も、今は禁忌とされた精神病の治療も、恐ろしい実在の病も、どれも今回の伝染病とは合致しないのである。
 化物の様な患者が出た時に予想外に多くの生存者を見かけて、彼等が様々な事を噂しているのを盗み聞きした。神経を立てなくても自然に聞こえてくる声量で話していたので、盗み聞きというよりも偶々聞こえたと言う類の物だった。
 知り合いに医療関係者でも居たのだろうか、其の人に依れば患者を解剖した所、通常の人間には存在しない器官が新たに生成されていたと言うのである。始めは悪性の腫瘍か何かと思われ、其れの切除で治療が出来るとも考えられたのだが、切り落とした途端に患者は動きを止めたのだと言う。解剖された三体が三体とも同様の物が生成されており、切除すると息絶える。
 つまり其れは患者と人類が全く別の生物に為った証拠と言えるのではないだろうか。其の器官はまるで昆虫が持つ神経節の様だったと言う。
 食道下神経節。何時か連想したごきぶりの駆動原因。ごきぶりに限った神経ではないのだが、患者達の生命力、動きの特徴からこう言うべきだろう。人間のごきぶり化。或る意味で、俺が最も恐れていた結果だった。
 ウィルスとの融合により、身体の一部が蛹化し、そして、元と全く違う器官が生成されるのである。外因による変態。此れは果たして進化と言うべきなのだろうか。人類の一員として、俺達もまた此の進化の潮流に乗るべきなのだろうか。
 まりは俺の母が戻って来た所為か、帰ってからも下着姿にはならず、薄着なのは違いないけれど、きちんとした服を着ていた。俺も其れに倣ってきちんとしていた。父のチノパンの裾を捲って七分くらいの丈にして、ワイシャツも袖を捲っていた。
 母は俺達がソファに座っている後ろから、お早うと声を掛けて来た。俺は其の時にもう朝が来たと言う事に気付かされた。何日も碌に眠れていなかった筈なのにも拘らず、一晩寝ただけですっかりクマもとれて、溌溂としていた。まりは俺の肩に身体を預けて寝ていた。まりが目を覚ましてから朝食を摂り、再び情報の共有と今後の展望について話し合った。
 今回の件で多くの人が犠牲になった。一家全滅した家も少なくない。其の割に建物が破壊されたのは、確認しただけでもモール街や学校位のものだから、妙にさっぱりとして小奇麗なので、壮絶な孤独感が押し寄せてくる事が間々ある。

   *  *  *  *  *  *  *  *

「其れで子供は何時出来るの」
 俺の母は、本当に好きな事を好きな時に言う。まりが真っ赤になって否定する。俺も、そういう関係じゃ無いと例の吃音交じりの言葉を紡ぐ。
「はあ? まだやって無かったの? このへたれー」
 超早期に出来婚した奴に言われたくは無い。俺の母の常識は非常識だ。まあ、俺の常識が社会一般で通用するものだったかはまた別の問題だが。何故あの堅実そうな父が母を選んだのかずっと謎だった。母が十六の時に、父は大学を卒業して仕事に就いていた。きっと、彼の人生で最も迂闊な選択だっただろう。
「あんた馬鹿なの? 子供作って味方増やしておかないと、此の先やっていけないわよ」
 妙に的を射た事を言うので驚いてまりと目を合わせて、俺達はまた赤くなった。
 いやいや、止そう、此の話は。生活が安定しない中で子供なんて。
「本当に馬鹿ね。もしかして、生活が安定しないと子供がちゃんと育たないとか思ってんの? 人間はそんなに軟じゃないし、そんな軟な奴育たなくても次があるでしょ。昔の人は戦争してたって、不景気だって、やる事やってたんだから。次の世代に繋ぐってのは生きてる者の義務みたいなもんなのよ」
 母の持論は、人間社会的ではない。自然界で生きているような理論で動いている。だがこの窮まった状況で改めて聞くと、此の人の言っている事の方が常識の様な気がしてくる。
「でも、まりちゃんだって好きでも無い奴と、その――」
「好きじゃないって、まりちゃんがあんたを? もしかしてあんた馬鹿な上ににぶチン? まりちゃんは――」
「ちょっと、おばさん!」
 まりが語調を強めて、其の先を遮る。
「あ、えっと、それより今後どうするかって言う問題でしょ。山には行かないの?」
「まあいいわ。当人同士の問題だし。それにしても山かあ。旅館が山の上にあったから、ずっと山だったのよね。あたしは海に一票かな」
 遊びに行く訳ではないのだが、母は何処かうきうきしている様子だ。まりはその母を呆れ顔で見ている。
 患者達が腐り落ちるか拘束されるかして、普通の人間が行動できるようになるまで、未だ暫く掛かるだろう。其れまで気楽に暮らすのも悪くない。
 今は未だあの患者達が、あの将来の無い、根源的に破滅的な生物が、此の地球を生物の無い星に変えかねない生物が、ピラミッドの頂点に君臨するのか分からない。ただし、古来から強い生物のみが頂点に立つ資格があると言う事だけは変わっていない。
 普通に生きればいい。襲い来る者を排除し、自分の仲間を増やして、そうすれば淘汰は健全に機能する。あるべき姿など無い。理想を追い求めるだけ無駄だ。在る様に在るだけなんだ。
 俺は其処まで考えて気が楽に為った様に思った。


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